2020-03-10 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
二週間が経過するころ、五体満足な健康な成人男子が、職もなく、テレビを見ているだけでいいのかという思いも募り、東北自動車道が再開通した翌日、単身、車でボランティアをしに行きました。一年以上、テント生活をしながら、宮城県七ケ浜町で、ヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を出したりといった作業を続ける日々でありました。
二週間が経過するころ、五体満足な健康な成人男子が、職もなく、テレビを見ているだけでいいのかという思いも募り、東北自動車道が再開通した翌日、単身、車でボランティアをしに行きました。一年以上、テント生活をしながら、宮城県七ケ浜町で、ヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を出したりといった作業を続ける日々でありました。
「福島第一原子力発電所事故の影響で復旧が遅れていた常磐自動車道の常磐富岡〜広野間が今年二月に再開通した。これは当初の予定を一か月前倒しした成果だ。さらに未開通の区間についても完成を前倒しして、来年のゴールデンウィーク前までに常磐自動車道を全線開通させることを決定した。開通の目途を具体的に示したことは初めてのことで、「少しでも早く」という被災地の思いに私自身応えようとしたものだ。」
先週末の二月二十二日でしたが、福島県浜通りを走る常磐自動車道広野—富岡間の再開通式というのが開催されまして、大臣、そして副大臣、たくさんの方においでをいただきました。 この区間は、三・一一の地震で路面が大きく損傷した、そしてなおかつ、去年までは警戒区域という指定で、人が入れなかったところでございます。
これはまあずばりで申し上げますが、田中さんはまず国鉄の再開通――魚沼線というのは大体眠っておった状態にあったんですよ。道路ができてから眠りから覚めて、いまこういうような状態になってきたんです。でありまするから、ずばりで言えば、この再開通させて票田を構築したということにもなってくるわけですよ。その後、路線沿いに道路をつくったこともいま申し上げているとおりです。